スキップしてメイン コンテンツに移動

見知らぬ女性が倒れていたらどうする?救護の是非を考察

女性が倒れたとき、救護するべき?現代社会のリスクと対応策

女性が倒れたとき、救護するべき?現代社会のリスクと対応策

human_relationship

先日、配信で同年代の男性がこんな話をしていました。

「もし女性が倒れて心臓マッサージや救護が必要な場合、どうするべきか?」

身内や知り合いならまだしも、見知らぬ女性だった場合はどうすればいいのか。

今や誰もがスマホで写真や動画を撮り、世界中に拡散できる時代です。そんな状況で、救護のためとはいえ、女性の体に触れるべきなのか。

また、助けたつもりが、相手からセクハラや性犯罪の加害者として訴えられるリスクもあります。

議論の末に出た結論

いろいろと議論した結果、見知らぬ女性には直接触れないほうがよい という結論になりました。

取れる行動としては、

  • すぐに救急車を呼ぶ
  • 近くにいる同性(女性)で助けられる人を探す

これしかない、というのが現実です。

実際の体験談

実際に、私も一度、夜道で女性が酔っ払いに絡まれている場面に遭遇したことがあります。

しかし、何もせず、そのまま立ち去りました。

昔なら「助けてくれてありがとう」と言われたかもしれませんが、今は下手をすると性犯罪者に仕立て上げられる可能性すらあります。

あなたならどうする?

皆さんなら、このような状況でどうしますか?

コメント

このブログの人気の投稿

【挑戦できない日本】「できないからやる」はなぜ評価されないのか?

挑戦がしづらい日本社会の空気|できないから挑戦する意味とは? 夕焼けに照らされた会議室で、未来を語り合う人々の姿。 「対話」「協力」「希望」の象徴としてこの写真を選びました。 「挑戦してみたい」と思っても、空気を読んでやめる。 日本ではそんな場面、よくある気がしませんか? 「できないのにやるのは迷惑」「下手ならやるな」という空気が、挑戦する自由を奪っている——そんな風に感じることがあります。 でも本当は、「できないからこそ挑戦する」ことにこそ価値があるんじゃないでしょうか? ✅ この記事のポイント: 「できないからこそ挑戦する」 「英語が下手なら黙ってろ」 「失敗しながら上達するもの」 「できる人がやった方がいい」 「努力すれば何でもできる」 「できる人が目立つ」 「挑戦する自由」 「適材適所」 「やってみよう」 英語が下手だと笑われる?日本の英語教育の現実 たとえば英語。 話せないから勉強しているのに、たどたどしく話すと笑われる。 「英語が下手なら黙ってろ」というような雰囲気が、結果的に日本人の英語力の伸びを妨げているのかもしれません。 本来、語学もスポーツも仕事も「失敗しながら上達するもの」なはず。 「できる人がやるべき」には合理性もある 一方で、「できる人がやった方がいい」という考え方にも理があります。 経験者がやった方が効率的だし、ミスの許されない医療や建築などでは、挑戦の前に資格や訓練が必要です。 適材適所。 つまり「向いている人がやる」という考え方もまた、社会を円滑に動かす上で必要な価値観です。 挑戦は誰にでも必要か?努力万能主義の落とし穴 「できない人が挑戦すること」がいつも正しいわけではありません。 向き不向きがあるのも事実で、「努力すれば何でもできる」という思い込みは、プレッシャーや燃え尽きにもつながりかねません。 挑戦することと、自分の特性を知ること。両方を大切にしたいところです。 日本にも「努力...

「しっかりしろよ」と言われ続けた僕が、やっと見つけた答え

「無職」という言葉に負けない生き方 無職という言葉を聞くと、 何もしていないように思われるけど、 そんなことはない。 自分はアルバイトやパートの働き方を選んでいる。 正社員として働いたことはないけど、

就職氷河期世代のアルバイトと転職の軌跡

就職氷河期を乗り越えてきた私の挑戦と転職の経験 就職氷河期を乗り越えてきた私の挑戦と転職の経験 高校を卒業して数年後、私は就職氷河期の世代に突入し、大学受験では2回浪人した末に挫折してしまった。 最初は「いなげや」というスーパーで午前中のアルバイトを始めたが、協調性がないのか、なかなかうまくいかず、半年ほどで辞めることになった。 その後、実家の建設業で働き始めたが、体力が足りず、やはり続けることができなかった。 その後、いくつかのアルバイトに挑戦したが、どうも見た目が暗いせいか、うまくいかなかった。そして最終的に、引っ越しのアルバイトに就くことになった。 しかし、この仕事は非常に厳しく、朝の6時から深夜の2時まで働き、その後また朝6時に出勤という生活が続いた。すぐに耐えられなくなり、結局その仕事も一日で辞めてしまった。 その後、プラスチック工場で深夜のアルバイトをしたが、立ちっぱなしの厳しい労働で、1週間で辞めざるを得なかった。 その頃、インターネットはまだ普及していなかったが、ミュージシャンの仲間を探してさまざまな人と出会い、交流を深めていた。出会いを求めていたのか、特に異性との出会いに憧れを抱いていた。 そんな中、公共機関で働いている人と知り合い、その紹介でその機関で働くことができるようになった。 最初は大変だったが、仲間たちは素晴らしく、まるで学校に通っているような楽しい雰囲気の中で働くことができた。建設業や引っ越しのような肉体労働とは違い、立ちっぱなしではあったが、こまめに休憩が取れる環境で働くことができ、さらにボーナスも支給された。 しかし、楽しい時間を過ごしながらも、次第にお金が不足していることに気づいた。インターネットが普及し始めた頃には、副業としてIT関連の仕事に応募したが、全て失敗に終わった。 ...