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「しっかりしろよ」と言われ続けた僕が、やっと見つけた答え

「無職」という言葉に負けない生き方

夕暮れの道、輝くシルエットが歩く。

無職という言葉を聞くと、

何もしていないように思われるけど、

そんなことはない。


自分はアルバイトやパートの働き方を選んでいる。

正社員として働いたことはないけど、

それは自分に合っていると思う。


過去にはいろんなアルバイトを経験してきたけれど、

人間関係で壁にぶつかることが多かった。


集団で働くのは自分には向いていないのかなと感じる。

自分が他人と一緒に仕事をすると

心の健康を失うことがあるからだと思う。


新しい仕事を始めるたびに、

周りに言われることが違ってくる。


他の人は「次から気をつけてね」と優しく言われるけど、

自分は「しっかりやれよ」とか

「そんなことじゃだめだよ」と

言われることが多かった。


その結果、

自分は「集団で仕事をするのは無理」

という結論に達した。


働くことは大切だと言われるけど、

自分は労働そのものがだいの大敵だと思っている。


これは、自分のことを理解した結果だ。


友人も恋人もいないけれど、

それでも自分にとって大切な生き方を選んでいる。


他人の標準で生きるのは、

自分にとって難しいし、

自分なりの生活をもっと大切にしたい。


実労月に40時間。

そんなのんびりした生活で、

自分の定義を見つけている。

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