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小さな自由を取り戻す──お金のない大人になって見えたこと

お金のない大人になってはいけない理由

古い廃屋の前で燃える紙幣のイメージ。お金がない大人の苦しさを象徴

お金がない大人になってはいけない

というのが、なってみてよくわかった。

お金がないというのは、

選択肢がない、つまり選べない

ということで、

選択肢がない、選べない、というのは、

余裕がないことでもある。



人間の欲は恐ろしく、

「ここまでで大丈夫」と思っていても、

他者を見ると、 羨ましくなって妬んでしまう。


そこから抜け出せないのは自分のせいなのに、

その選択肢のない世界にいると、

それは自分のせいじゃなくて、誰かのせいなんじゃないか

錯覚したりしてしまう。


お金がなくて犯罪に走ってしまう人の気持ちが、

ちょっとわかった気がした。

本当に苦しい。


今はSNSがあるせいで、

他者とのふれあいも簡単にできるから、

比較ばかりしてしまう

お金のない大人にはならないように

子供の頃の僕に言いたい。


今の僕は全部は変えられなくても、

小さな自由をひとつずつ取り戻すことはできるのかもしれない。

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