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【再開発】中央線の駅が全部同じに見える理由【昭和の建物】

駅が全部同じに見える件について考えた

朝の東京駅、人の波に飲み込まれそうになる風景

こんにちは。中央線ユーザーの僕が最近感じてる、ちょっとしたモヤっと話です。

駅の開発、どんどん進んでますよね。便利になってキレイになって、ありがたいんですけど…正直、「あれ?どこの駅も同じじゃない?」って思うことありませんか?

中央線の駅も例外じゃなくて、どんどん似たような作りになってきてる気がします。
入ってるスーパーも、デパートも、どこかで見たような感じ。

モノレールとか新しい交通もできたりすると、さらに「この風景、さっきも見たぞ?」って感覚に。

でも最近ちょっと気づいたこと

ずっと違和感感じてたんですけど、ふと考えたんです。

「そもそも昔の駅ってそんなに違ってたっけ?」って。

古い駅も、踏切も、線路も…形こそちょっと違っても、実はそこまでバラバラじゃなかったかも。

開発されて同じに見えるのは、「今の建物が似てる」からじゃなくて、「昔も似てたけど気にしてなかっただけ」かもしれないなーと。

似てるものって昔からあった

たとえば、今って「コンビニがどこも同じ」って言われるけど、
昔の駄菓子屋だって、あの小さな棚の並びとか、レイアウトって似てませんでした?

あれもきっと「便利だから」「入りやすいから」って理由で自然と似た形になっていったのかなって思います。

駅に個性がない?それもまた錯覚かも

同じような風景に見えることって、つまらないな〜って思ってたけど、
もしかするとそれは「新しさ」や「変化」への反応なのかもしれません。

個性って、形じゃなくて、そこに流れる空気とか、自分の記憶の中にあるものなんじゃないかな。

おわりに:あなたはどう思いますか?

そんなことを、中央線に乗りながらぼんやり考えてました。

駅の開発、風景の変化、そしてその中で感じる違和感。
皆さんは、最近の駅の風景についてどう思いますか?

コメントなどで感想もらえたら嬉しいです。

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