カテゴリ: エッセイ
情報化社会と「見えないもの」の魅力
昔は、他人の生活ってなんか神秘的で、無性に気になったりしたよね。
特に恋愛や人間関係においては、相手が普段どんなことしてるのか、何を考えてるのかって、知る手段がほとんどなかった。会って話すとか、ちょっとした仕草から推測するしかなかった。
恋人や気になる相手の「普段の姿」を想像すること自体が楽しみでもあり、心を引きつける大きな要素だった。
でも今は、その「見えない部分」が一瞬で「見える化」される時代。
SNSや配信サービスを通じて、他人の朝の風景や日常の一コマが簡単に見えるようになった。好きな相手が何をしているのか、何に心を動かされているのかが、リアルタイムでわかる。すごい時代だよね。
もちろん、この「見える化」には良い面もある。
相手への理解が深まり、距離が縮まったり、意外な一面を知って「こんな人だったんだ!」と発見する喜びもある。
でも良いことばかりじゃない。
昔は「知る」ために時間をかけて関わり、想像しながら距離を縮めていた。そのプロセスがドキドキやワクワクを生んでいた。でも今は欲求がすぐに満たされるから、その魅力が薄れやすくなっている。
情報があふれすぎて、逆に飽きてしまうこともある。隠された生活を知ったとき、「あれ?意外と普通だな」と思ってしまうこともある。
神秘性や想像の余地がなくなることで、期待が現実に引き寄せられ、魅力が失われてしまう。
とはいえ、これは悪いことばかりではない。
「想像する楽しさ」と「リアルを知る満足感」が両立している、今の時代ならではの新しい形かもしれない。
結局のところ、「知りたい」という欲求が簡単に満たされる現代で、何を選び、どう受け止め、どう関わっていくか。それを自分で意識していくことが大切なんじゃないかな。
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