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部屋着ばかりでやる気が出ない人へ|服装が心と人生に与える意外な影響

服装が人生を変える話

汚れた紫のスウェットパンツが散らかった部屋のテーブルに置かれている様子。背景には書類の山や生活感のある物が乱雑に配置され、生活の乱れを象徴している。
部屋に放置されたスウェットパンツ。
「だらしなさ」と「心の乱れ」が見える景色。

僕の20代は、良くも悪くもエネルギッシュだった。毎日が勢い任せで、無茶もしたけど、それなりに充実していた。

でも40代に入ってから、なにかが壊れたような感覚がずっとあった。日々がぼやけて、やる気も湧かない。崩れていく自分を止められなかった。

──その原因が、ようやく一昨日わかった。

服装が気持ちをつくっていた

おしゃれの話じゃない。服装=けじめという話だ。

20代の頃は、家でも外でも同じ格好で過ごしていた。帰宅してもジーンズのまま、ちゃんとした姿勢で机に向かっていた。部屋着なんて概念、そもそもなかった。

でも今は? スウェット、ジャージ、ヨレヨレのTシャツ。ずっとそんな格好でだら〜っと過ごしてる。
着替えもしないままスマホをいじり、気づけば日が暮れてる。

これはもう、心がゆるんでるんじゃなくて、崩れてる

部屋着が習慣を壊す

もちろん、コロナ禍で在宅時間が増えた影響もある。でも正直、その前からゆるゆるになってた。

「服装なんて楽な方がいい」と思っていた。でも、それがメンタルに悪影響を与えていたなんて、当時の僕は想像もしてなかった。

服を意識的に分ける

そこで、思い切って生活用の服を分類することにした。

  • 部屋着:完全オフ用。寝る・くつろぐ用。
  • 仕事着:在宅でも「作業モード」になれる服。
  • 外出着:気分が引き締まる服。

これだけで、驚くほど気持ちが切り替わる。人に会わなくても、身なりを整えることで「今からやるぞ」ってスイッチが入る。

気づけばベルトが1本だけ

服を分けて意識しようとしたら、ベルトが1本しかないことに気づいた。
前は3本あったはずなのに、今はヨレた1本だけ。

だからまずは、ベルトを買う。それが僕の再スタート。

小さなけじめが、人生を立て直す

服装って、ただの布じゃない。
自分の状態を映す鏡なんだと思う。

今、気持ちが崩れかけてるなら、まずは身なりから整えてみて。
きっと少しずつ、心も整っていく。

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