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「しっかりしろよ」と言われ続けた僕が、やっと見つけた答え

「無職」という言葉に負けない生き方 無職という言葉を聞くと、 何もしていないように思われるけど、 そんなことはない。 自分はアルバイトやパートの働き方を選んでいる。 正社員として働いたことはないけど、

【挑戦できない日本】「できないからやる」はなぜ評価されないのか?

挑戦がしづらい日本社会の空気|できないから挑戦する意味とは? 夕焼けに照らされた会議室で、未来を語り合う人々の姿。 「対話」「協力」「希望」の象徴としてこの写真を選びました。 「挑戦してみたい」と思っても、空気を読んでやめる。 日本ではそんな場面、よくある気がしませんか? 「できないのにやるのは迷惑」「下手ならやるな」という空気が、挑戦する自由を奪っている——そんな風に感じることがあります。 でも本当は、「できないからこそ挑戦する」ことにこそ価値があるんじゃないでしょうか? ✅ この記事のポイント: 「できないからこそ挑戦する」 「英語が下手なら黙ってろ」 「失敗しながら上達するもの」 「できる人がやった方がいい」 「努力すれば何でもできる」 「できる人が目立つ」 「挑戦する自由」 「適材適所」 「やってみよう」 英語が下手だと笑われる?日本の英語教育の現実 たとえば英語。 話せないから勉強しているのに、たどたどしく話すと笑われる。 「英語が下手なら黙ってろ」というような雰囲気が、結果的に日本人の英語力の伸びを妨げているのかもしれません。 本来、語学もスポーツも仕事も「失敗しながら上達するもの」なはず。 「できる人がやるべき」には合理性もある 一方で、「できる人がやった方がいい」という考え方にも理があります。 経験者がやった方が効率的だし、ミスの許されない医療や建築などでは、挑戦の前に資格や訓練が必要です。 適材適所。 つまり「向いている人がやる」という考え方もまた、社会を円滑に動かす上で必要な価値観です。 挑戦は誰にでも必要か?努力万能主義の落とし穴 「できない人が挑戦すること」がいつも正しいわけではありません。 向き不向きがあるのも事実で、「努力すれば何でもできる」という思い込みは、プレッシャーや燃え尽きにもつながりかねません。 挑戦することと、自分の特性を知ること。両方を大切にしたいところです。 日本にも「努力...

小さな自由を取り戻す──お金のない大人になって見えたこと

お金のない大人になってはいけない理由 「 お金がない大人になってはいけない 」 というのが、なってみてよくわかった。 お金がない というのは、 選択肢がない、つまり選べない ということで、 選択肢がない、選べない、というのは、 余裕がないこと でもある。 人間の欲は恐ろしく、 「ここまでで大丈夫」と思っていても、 他者を見ると、 羨ましくなって妬んでしまう。 そこから抜け出せないのは自分のせいなのに、 その選択肢のない世界にいると、 それは自分のせいじゃなくて、誰かのせいなんじゃないか と 錯覚したりしてしまう。 お金がなくて犯罪に走ってしまう人の気持ちが、 ちょっとわかった気がした。 本当に苦しい。 今はSNSがあるせいで、 他者とのふれあいも簡単にできるから、 比較ばかりしてしまう 。 お金のない大人にはならないように と 子供の頃の僕に言いたい。 今の僕は全部は変えられなくても、 小さな自由をひとつずつ取り戻すことはできるのかもしれない。

部屋着ばかりでやる気が出ない人へ|服装が心と人生に与える意外な影響

服装が人生を変える話 部屋に放置されたスウェットパンツ。 「だらしなさ」と「心の乱れ」が見える景色。 僕の20代は、良くも悪くもエネルギッシュだった。毎日が勢い任せで、無茶もしたけど、それなりに充実していた。 でも40代に入ってから、なにかが壊れたような感覚がずっとあった。日々がぼやけて、やる気も湧かない。崩れていく自分を止められなかった。 ──その原因が、ようやく一昨日わかった。 服装が気持ちをつくっていた おしゃれの話じゃない。 服装=けじめ という話だ。 20代の頃は、家でも外でも同じ格好で過ごしていた。帰宅してもジーンズのまま、ちゃんとした姿勢で机に向かっていた。部屋着なんて概念、そもそもなかった。 でも今は? スウェット、ジャージ、ヨレヨレのTシャツ。ずっとそんな格好でだら〜っと過ごしてる。 着替えもしないままスマホをいじり、気づけば日が暮れてる。 これはもう、心がゆるんでるんじゃなくて、 崩れてる 。 部屋着が習慣を壊す もちろん、コロナ禍で在宅時間が増えた影響もある。でも正直、その前からゆるゆるになってた。 「服装なんて楽な方がいい」と思っていた。でも、それがメンタルに悪影響を与えていたなんて、当時の僕は想像もしてなかった。 服を意識的に分ける そこで、思い切って生活用の服を分類することにした。 部屋着 :完全オフ用。寝る・くつろぐ用。 仕事着 :在宅でも「作業モード」になれる服。 外出着 :気分が引き締まる服。 これだけで、驚くほど気持ちが切り替わる。人に会わなくても、身なりを整えることで「今からやるぞ」ってスイッチが入る。 気づけばベルトが1本だけ 服を分けて意識しようとしたら、ベルトが1本しかないことに気づいた。 前は3本あったはずなのに、今はヨレた1本だけ。 だからまずは、 ベルトを買う 。それが僕の再スタート。 小さなけじめが、人生を立て直す 服装って、ただの布じゃない。 自分の状態を映す鏡 なんだと思う。 今、気持ちが崩れかけてるなら、まずは身なりから整えてみて。 きっと少しずつ、心も整っていく。 生活習慣 , メンタルケア , 人生...

日本人は時間に厳しすぎる?

時間に追われすぎる日本人へ|「遅れてもいいじゃん」と思える生き方 「遅れてもいいじゃん」って言える自分になる 焦らず歩こう。たまには空を見上げてもいい。 午後の15時半。今日はゆっくり中央線に乗る。案の定、遅れてる。昔ならイラッとしていた。けど今はちょっと違う。 「まあ、別に急いでないし」って、自然と思えるようになってきた。 日本の「時間に正確すぎる文化」に飲まれすぎてない? 1分の遅れに文句を言う人すらいる。けど、ちょっと待って。そこまで神経尖らせて、幸せなんだろうか? 「時間を守ること」は美徳。でも「時間に縛られすぎる」のは、ただの消耗。 正確な電車、正確な会議、正確な納期…。でも、正確さの裏でボロボロになってる人、多くない? 海外のゆるさに学ぶ「それでも社会は回ってる」 フランスでは電車が平気で5分10分遅れる。イタリアでは来ないこともある(笑)。でも、それを前提に社会が動いてる。 日本だって、本当は「もっとゆるくていい」んじゃないか?そう気づいたら、少し気持ちが軽くなった。 「ちゃんとしすぎない」って、自分を守る技術 真面目さに疲れたら、ちょっとサボってもいい。大切なのは、自分を壊さないこと。 遅れても、間に合わなくても、やり直せばいい。それが人生。 肩の力を抜いて、「遅れてもいいじゃん」って笑える人になりたい。いや、なろう。 おわりに:読者の方々はどう思いますか? 今日、電車が3分遅れてたら、 怒る?焦る?それとも、「あ、ちょっと空でも見ようかな」ってなる? そんなふうに生きられたら、世界はちょっとだけやさしくなるかもしれない。

重大発表!ボーダーレスな時代へ 〜配信サイトの可能性〜

配信サイトを見ていると本当に面白くて、 「そりゃあテレビが廃れていくのも仕方ないよな〜」と思う一方で、

【再開発】中央線の駅が全部同じに見える理由【昭和の建物】

駅が全部同じに見える件について考えた こんにちは。中央線ユーザーの僕が最近感じてる、ちょっとしたモヤっと話です。 駅の開発、どんどん進んでますよね。便利になってキレイになって、ありがたいんですけど…